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もし明日が最期だとしたら

突然ですが、自分の最期について考えたことはありますか?

 「いつ・どこで・どのような最期を迎えるか、どのような最期を迎えたいか」

もちろん、どんなに考えても希望が叶うわけではありませんし、「いつ・どのような最期になるのか」は誰にもわかりません。

ですが、わからないからこそ考えなくてはいけない。
希望が叶うかどうかは別として、「どこで最期を迎えたいか」ということは特に考えるべき事だと思います。

訪問診療において、どこで最期を迎えるかは重要な議題となります。

最期を迎える場所には、病院・自宅・施設などいくつかの選択肢がありますが、どれが正解というものはありません。

大切なのは、その人らしく、そしてその人と関わるご家族が納得できる形を選ぶことだと感じています。

訪問診療の現場では、患者様ご自身だけでなく、ご家族の思いも交えながら「どこで最期を迎えたいか」を一緒に考えていきます。

「病院のほうが安心だから」とおっしゃる方もいれば、「やっぱり自宅が落ち着くから」と願う方もいらっしゃいます。

その希望に“正しい・間違っている”はありません。

むしろ、その選択に込められた思いや背景を汲み取り、どうすればその希望に近づけるかを考えることこそ、私たちの役割なのだと思います。

患者様やご家族と話をしていると、最期をどう迎えたいかという問いは、その人の生き方そのものと深くつながっているのだと実感します。

どんな環境が安心なのか、誰とどんな時間を過ごしたいのか、何を大切に暮らしてきたのか。

最期の場所を考えるというのは、「自分がどう生きてきたか、どう生きたいのか」を見つめ直す作業でもあるのかもしれません。

だからこそ、最期について話すことを縁起でもないと避ける必要はないのだと思います。

むしろ早い段階から考えることで、本人もご家族も今の時間を大切にしやすくなり、後悔の少ない選択ができるようになると私は思います。

訪問診療に携わる中で、私は何度もその瞬間に立ち会ってきました。

悲しみがまったくないわけではありません。

それでも、患者様やご家族が納得し、穏やかにその時を迎えられたとき、そこには確かに温かい空気が流れています。

「ここを選んでよかった」「一緒に過ごせてよかった」という言葉を聞くたびに、人が最期をどう迎えるかということの大切さを再認識します。

もし明日、終わりが来るとしたら、自分はどこで、誰と、どんな気持ちでいたいのだろうか。

その答えはまだはっきりと定まってはいませんが、少なくとも考えておくことの重みは、この仕事を通して感じるようになりました。

命の現場にいて思うのは、最期を考えることが、今をどう生きるかを考えることにつながる

ということです。

だから私は、今日も目の前の患者様に向き合いながら、自分自身の生き方も見つめ直しています。

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